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2026.08.222026年、創作の原理を探る
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創作の開始
2026年、私は創作を始めました。
脚本というものを、作ることにしました。
現時点で、私は脚本や創作のことを深く知るわけではありません。ほとんどのことを知らないと言っても間違いではありません。
- 私は何のために書くのか。
- 私は何を創りたいのか。
- どのような物語が人の心を動かすか。
- どのように描けば伝わるか。
- 作品の構成は感情とどのように結びつくのか。
- 脚本、小説、映画、ドラマ、アニメ、漫画、舞台など、創作全般に共通する原理はあるか。
私は、これらの問いに対する答えを探したいと思っています。
私は、脚本術や物語論を調べ、創作の原理原則を整理しようとしています。
これから創作を続けていくために、自分が何を考え、何を確かめようとしているのか。その出発点を明らかにしておきたいからです。
この記事は、完成した創作論ではなく、あくまで現時点の考えを記載したものに過ぎません。
自分にしかできない方法を見つけたい
私は、単に自分の作りたいものを作るだけではなく、創作を続けるなかで、自分にしか扱えない方法を少しずつ確立していきたいと考えています。
もちろん、活動を始める前から独自の方法が完成しているわけではありません。
また、「自分にしかできない」とは、誰も見たことのない奇抜な技法を突然発明することでもないと思っています。
- 何を書くべきか。
- どのようなものを観察するのか。
- 何を問題だと考えるのか。
- どのような知識を組み合わせるのか。
- 直感から生まれたものを、どう作品へ転換するのか。
こういった選択を積み重ねていくことで、作家固有の手法が生み出されていくのではないでしょうか。
私の場合、その方法の中心には、創作活動以外の、これまで蓄積させてきた仕事の経験や知識、その他の論理や記号などへの関心が置かれることになると思います。
これらの領域を創作へ持ち込み、実際に作品を書きながら、その可能性と限界を確かめていきたいです。
感性だけに委ねないために
創作において、感性や直感が欠かせないものであることは疑いようもありません。
人物の痛みを想像すること、言葉にならない感情を捉えること、理由を説明できないのにある場面やイメージに強く引かれること。
そのような感覚からしか生まれないものがあります。
私は、それを論理によって消したいわけではありません。
一方で、創作のすべてを感性だけに委ねてしまうことには、強いアレルギーがあります。
「感性」という言葉には、特にそれが日本語で発音される場合の「感性」という言葉には、一切の再現性を許容しない姿勢が源にあるからです。
- ある場面がうまくいったとき、なぜうまくいったのか。
- 物語が途中で動かなくなったとき、どこに原因があるのか。
- 人物の感情が伝わらないとき、何が不足しているのか。
これらを感覚だけで判断していると、成功を再現することも、失敗から学ぶことも難しくなります。
だから私は、感性を支えるための骨格を探したいのです。
直感によって生まれたものを壊さずに整理し、構造として捉え直し、必要であれば組み替えられる方法をつくりたいと考えています。
体系は感性を閉じ込めるための檻ではなく、感性をより遠くまで運ぶための足場になり得るのではないでしょうか。
今は、そのように考えています。
創作をシステムとして見てみる
私は、物事を個別の要素として見るだけでなく、要素同士の関係や、全体を成立させている仕組みに注目する傾向があります。
その見方を、創作にも応用できるのではないかと考えています。
例えば、一つの台詞の意味は、その言葉だけで決まるわけではありません。
誰が、誰に、どのような状況で言ったのか。何を知っていて、何を隠しているのか。その前に何が起き、相手はどう受け取るのか。
こうした関係によって、同じ言葉でも意味が変わります。
人物の行動についても同様です。
人物には目的があり、その目的を妨げる何かがあり、行動に対して他者や世界が反応します。その結果によって状況が変わり、人物は次の選択を迫られます。
このように考えると、物語は単なる出来事の並びではなく、人物、欲望、制約、情報、時間、因果、意味、受け手の解釈などが相互に作用するシステムとして捉えられるかもしれません。
もちろん、この見方ですべての作品を説明できるとは考えていません。
しかし、少なくとも自分が作品を設計し、問題を発見し、改稿するための視点としては役立つのではないかと思っています。
今後の実作を通して確かめたいことの一つです。
媒体を越える原理はあるのか
私が探究したい問いの一つに、異なる創作媒体を越えて共通する原理はあるのか、というものがあります。
脚本、小説、映画、ドラマ、アニメ、漫画、舞台は、それぞれ異なる表現方法を持っています。
映画やドラマでは映像と音が提示されます。
小説では、言葉を通して読者の内部に像が生まれます。
漫画では静止画の連続とコマの間が時間をつくります。
舞台では、俳優と観客が同じ空間と時間を共有します。
そのため、ある媒体で有効な技法を、別の媒体へそのまま移せるとは限りません。
それでも、より抽象的な水準まで遡れば、いくつかの共通する構造を見つけられるのではないかと考えています。
- 何かが変化すること。
- 変化の前後に差があること。
- 人物が何かを求めること。
- 行動に対して、他者や世界が反応すること。
- 情報によって、人物や受け手の理解が更新されること。
- 一つを選ぶことで、別の可能性が失われること。
こうした要素が、本当に幅広い創作に共通するものなのでしょうか。それとも、特定の形式に偏った見方にすぎないのでしょうか。
現時点では、まだ答えを出すことはできません。
作品をつくり、異なる媒体を学び、具体例と照らし合わせながら、少しずつ検証していきたいです。
論理や記号を創作へ持ち込むというと、形式的な作品を大量生産しようとしているように聞こえるかもしれません。
しかし、私が考えているのは、創作の正解を計算することではありません。
私にとって、これらは創作を機械化するためのものではありません。
直感的に行っていることを別の言葉へ翻訳し、見えにくい関係を観察するためのレンズであり、考えるための補助線です。
ただし、これらの概念を借りてきただけで、作品が優れたものになるわけではありません。
創作へ適用することに本当に意味があるのか。単なる比喩に終わっていないか。人間や物語を過度に単純化していないか。
こういった点についても、常に疑いながら使っていきたいです。
冷徹な構造によって、人間が際立つのではないか
私が現在抱いている仮説の一つに、冷徹な構造を置くことで、かえって人間の心理が鮮明に現れるのではないか、というものがあります。
時間は戻りません。
失われたものは、完全には取り戻せません。
二つの価値を、同時には守れないことがあります。
善意から選んだ行動が、望まない結果を生むこともあります。
このような容易には動かせない条件のなかに人物を置いたとき、その人物が何を選び、何を諦め、何に抵抗するのかによって、内面が行動として現れるのではないでしょうか。
感情を直接説明するだけではなく、逃れられない条件や両立しない価値を設計し、そのなかで人物に選択させます。
そうすることで、人間の弱さ、矛盾、希望、残酷さ、尊厳などが、よりはっきりと見えるようになるかもしれません。
感情が強く現れる条件を、構造として考えられないかを試したいのです。
これもまだ、私のなかでは仮説にすぎません。
実際の作品のなかでどこまで機能するのか、これから確かめていく必要があります。
原理原則を、完成した法則にしない
創作の原理原則を研究するとき、気をつけたいことがあります。
それは、自分がつくった体系を絶対的な法則だと思い込まないことです。
ある作品で機能した方法が、別の作品でも機能するとは限りません。観客、読者、ジャンル、媒体、時代、発表環境が変われば、同じ表現でも受け取られ方は変化します。
あるいは、私の考えが誰かによって全面的に否定されることもあるでしょう。
私は、これから整理する原理原則を、最初から完成された真理としてではなく、あくまで検証可能な仮説として扱うつもりです。
- 原則とはどのようなものか
- 何を目的としているか。
- どのような条件で使えるか。
- どのような仕組みか。
- どのように機能するか。
- どのような結果が出るか。
- 修正する必要があるか。
そうしたことを毎回できる限り明らかにし、作品を書くたびに見直していきたいと考えています。
この循環を続けることで、体系も作品とともに成長していくのではないかと考えています。
創作と研究を同時に始める
私が目指しているのは、既存の脚本術を寄せ集めた万能のテンプレートではありません。
先人たちが残した知見を学びながら、それぞれの技法が何を目的とし、どのような条件で機能し、どこまで一般化できるのかを自分なりに考えたいです。
そして、創作について考えるための自分なりの手法を探求したいと思っています。
そうすることで、直感から生まれた発想を構造として捉え、作品の問題を診断し、異なる媒体への翻訳を試み、結果から再び学べるようになりたいです。
ただし、それが本当に自分にしかできない方法になるかどうかは、今の段階では分かりません。
長い時間をかけて創作を続け、その過程で少しずつ形になっていくものだと思います。
これは結論ではなく、出発点です
私にとって、2026年は創作家としての活動を始める年です。
今の私は、創作について確かな答えを持っているわけではありません。
しかし、どのような問いを持って創作へ向き合うのかについては、少しずつ言葉にできるようになってきました。
- 感性と論理を対立させないこと。
- 自由な発想と構造的な検証を両立させること。
- 人間の心理と、それを取り囲む冷徹な条件の双方を描くこと。
- 作品をつくりながら、創作方法そのものも更新していくこと。
数年後には、この記事に書いた考えの一部を訂正しているかもしれません。実作を通して、成り立たない仮説や、自分には扱えない方法が見つかるかもしれません。
それは失敗ではなく、創作と研究を続けた結果であるはずです。
ここに書いたことは、完成した創作論ではありません。
これから作品をつくり、自分の方法を探していくための、最初の記録です。